私は努力している人が好きだ。
こう書くと努力していない人が嫌いなような印象を与えるが、決してそういうわけではない。
努力という言葉は、目標を達成、実現のために行動することを言う。
目標がポジティブであろうが、ネガティブであろうがそれに向かって進むというのは、総じて努力ということだ。
努力をしない人は、大変だからしない人もいるだろうし、諦めている人もいるだろうし、目標を達成して努力をする必要性がなくなった人も含まれる。
なので、努力をしないと言っても一概にネガティブな面ばかりがあるわけではない。
一流のアスリートからビジネスなど様々な分野で努力している人を尊敬するし、努力話を聞くのも好きであるが、ネガティブな努力の話を聞くのも楽しい。
方向はどうであれ色んな壁にぶち当たって、努力をしてそれを乗り越えて結果を出す。
いわゆるサクセスストーリーというやつに心を踊らされるし、考えてもみなかった努力の方向を知るのも知的好奇心をくすぐる。
そんな私はというと努力家ではない。
怠惰を好み、安楽に過ごすことを目指す人間である。
努力と時間
私は、子供の頃はサッカー選手になりたかったし、大人になってダーツのプロやクイズ王になりたかったりと憧れは大きいもの実力が乏しく悩ましい毎日。
だったら努力すればいいんだろうけど、中々難しい現実が立ちはだかる。
時間がないのだ。
私は、妻と娘の3人暮らし。
そして、仕事をしている。
同じような環境の方は多いのではないだろうか。
仕事をして、家庭の時間を過ごしていると努力に使える時間というのはごく僅かである。
「右の方に行くと良いことがあるかもしれないよ」みたいなふわっとした助言をして5万円ぐらい稼げる仕事なら時間を作ることはわけないのかもしれないが、しっかりと時間で働かないといけない仕事をしているため、睡眠時間あたりを削るしかないが、そうなると仕事のパフォーマンスが落ちてしまう。
「甘いこと言ってんな!」と言われそうだが、健康は大事なのである。
常々、精神と時の部屋に入りたいと思う。
そんな中、努力して成功している人は、日頃の疲れがある中、休む時間を削って頑張って結果を出しているから、尊敬出来るし魅力的である。
私の努力の方向
私は、仕事は嫌すぎるので「のんびり贅沢な暮らしを送る」という目標がある。
そのための手段として好きなことをして大金を稼ぎたい、不労所得を得たいということを目指している。
前述した「ダーツのプロになりたい」とか「クイズ王になりたい」ということが「好きなことをして大金を稼ぎたい」ということである。
他のことで何かしら努力していることだと宝くじを買うことが努力なのかわからないが、可能性を広げるということで定期購入をしていたりする。
ロトを1枚だけ毎週自動で買う設定にしており、まだ大きな当たりには巡り合っていない。
ブログを始めたのも努力の一貫である。
文章を書くのは楽しいし、それで大金がもし得られるなら最高である。
まぁもちろんそんなに世の中は甘くないのだけれど、夢をみているのは辛くもあり、楽しくもありである。
いい意味で現実逃避を出来る時間があるというのは、仕事を続けていくためにも重要であることを身をもって学んだ。
そう、夢に向けて努力するにも定期的な収入もないといけないので、仕事はやめられずにいる。
嫌々ながら仕事を続けて、少しずつ貯金をすることも地道であるが私にとっての努力である。
そりゃロトで大金が当たったら即行で仕事を辞める。
努力の力
努力は現状を変える力を持っている。
現実逃避して辛い思いを和らげるもはもちろん、目標達成には至らなくても、努力をしたことで得られた経験や知識や技術は確実に自身の力となる。
自己実現のための努力もそうだが、人生において困難な局面を乗り越える力を与えてくれることもある。
「こともある」と書いたのは、必ず結果に結びつくものではないからだ。
理不尽なことが理不尽に解決できないということも世の中には起こりうることなのが、怖いところである。
とはいえ、色んな選択肢や発信の手段が増えたことによって努力によって大きな力を与えてくれて、解決に向かうようになってきたことも増えてきた。
辛い現況を変えるには、他者の力か自分の力しかない。
だが、他者の力が作用する場合は稀である。
「苦しい」と声を上げても現実はなかなか変わらない。
自分の力で行動を起こして解決の糸口を見つけることの方が、合理的である。
努力は前述した通り、時間を使うし大変で辛いことではあるが、結果として現況を少しずつ変えられて、自分が楽になることができる。
それを実感したり、知っていると人生の中での努力に価値を見出せることだろう。
意外と知られていないライフハックであるが「努力は辛いが役に立つ」
やってみるといいことがあるかもしれない。